17歳からのプログラミング入門。

情報系の門の先で起きたことをたまにメモ。

平成最後の年に見た、昭和の街での夜のこと

2019年3月、僕は1人で九州を一周する旅をしていた。

旅の3日目、高千穂を出発した僕は熊本地震の影響が強く残る熊本県阿蘇地方にいた。 夕方前に内牧温泉街に着いた僕は街歩きをしたり町湯に1時間半浸かったりしていた。

内牧は昭和が息づく街である。例えばこんなところとか。

終バスで宿に戻る予定を立てて夕飯処を探す。 しかし、運の悪いことにリーズナブルなお店はつい数日前に閉店していたり定休日だったりでほぼ全滅。 たまたま寄った酒屋で「この辺りで安めに晩ごはん食べられる所ってありませんか?」と聞いてみる。

紹介された。このお店。

昭和レトロ居酒屋 村上笑店 | 阿蘇内牧 夜のグルメガイド


終バスまで40分。とりあえずお腹を満たすためにおにぎりと焼鳥を注文する。 程なくして、4席のカウンター席が常連さんで埋まり……僕の隣にケンジさんというおっちゃんが座った。

このケンジさん、地元では有名な人らしく、19時過ぎで既に2軒目なんだそうだ。

「一人か」

「ええ、一人旅をしてまして」

「おなごはおらんのか」

「甲斐性ないんで、だめですね」

「仕事は」

「卒業してから無職です。働くのが怖くなっちゃって」

「何かできることはないんか」

もう1ヶ月以上前の話になるから子細は覚えていないが、気づけばケンジさんに色々と身の上話をしていた。 ケンジさん、よく旅人を捕まえては酒を飲ませてやったり、働き口を紹介してやったりしているらしい。 らしいというのはみんな酔っぱらいの話だからだ。

そういう話をしているうちに僕もその旅人の1人になった。 「のび太」というあだ名を与えられてお酒を飲ませて貰えることになった。 「俺と晩まで付き合え」「潰れるまでは、お付き合いします」

「(離れたテーブル席から)カシスオレンジ1つと〜……」

「おなごみたいな酒頼みよるわ。のび太もなんか頼め」

「おなごみたいな酒に文句つけられたら飲むお酒がなくなってしまいます」

「それでもええからなんか言え」

「えー、じゃあ、ワインを」

「ワイン!?変わったもん言いよるわ」


この街は昭和の街だ。 それは街並みだけの話ではない。 阿蘇を旅し、地元の人と話す時、必ずと言っていいほど二言目に「彼女はおるか」「おなごはおるか」と聞かれる。 この地域には男子は甲斐性でもっておなごを作り、家庭を持つことが当然であるという空気があると感じた。 そしてこの内牧でも、いや、その内牧だから、その空気は旅人にもはっきり伝わるくらい強く残っているのだ。

僕はそういう空気、文化が存在することをとても面白いと思う。 コンピュータに慣れ、SNSに慣れ、僕の文化圏は情報技術が骨を作り、グローバルな思想が肉を付けている。 ジェンダーロールは否定されるべき、それが現代のスタンダードだと思っていた。 でも違う。それは日本全国にあまねく掲げられているテーマではない。 自分の視野の狭さを実感させられた。

「最近は体を動かして働かないからだめなんだな」と言われた時、僕は「本当にそう思います」と答えた。 高専で情報技術を学んで、ITエンジニアとしての技能をいくらか身につけて、その上で心からそう答えた。

若い時に丁稚奉公をしていたケンジさんは今、工場の社長をしている。 労働は体を動かしてやれというその言葉は、この内牧で、その昭和の時代で生き抜いてきた、ケンジさんが言っているのだ。 その文化の背景の上では、その言葉はただのポジショントークには聞こえなかった。

もちろん、今の僕がその文化の中にいたらきっと淘汰されているだろうから、その文化の再来を決して望んでいる訳ではないよ。 僕は現代の、コンピュータで食べていける世の中を愛しく思ってるんだから。


いくらかお酒を選んで飲ませてもらい、やがてケンジさんの奥さん(この人は飲まない)も合流した。 色々食べさせてもらったフードメニューが片付いた頃、「次行くか」と言われた。

連れて行かれたのは向かいのスナック。 もちろんスナックなんて行ったことはなかったから、お上りさんみたいに店内を見回すだけの人形になろうかと思っていた。 カラオケの設備がある。歌っているのは……ついたての向こうのお客さんグループ。 カラオケボックスじゃないカラオケってあるんだなあ……。

「なんか歌え」

「えっと……どんな歌を歌えば良いのやら」

「なんでもいいから、歌いたの入れろ」

スナックにはケンジさんの知り合いの30~40代くらいのお姉さま方がいた。 布袋寅泰の『バンビーナ』を入れます。あと工藤静香の『慟哭』。岡本真夜の『TOMORROW』。 どう?世代的には合ってるかな?

僕の好きな曲の傾向が伝わったみたいで、歌の上手なお姉さまがプリンセスプリンセスの『M』を歌ってくれた。 いい歌だよね。口ずさんでいたらケンジさんに「旅しとって喋らんでどういうことや」と怒られた。

そのうちにケンジさんの知り合いの女性と『別れても好きな人』のデュエットを要求された。 歌ったことないよ!と思ったけどメロディはよく知ったフレーズの繰り返しだったからなんとか歌い通せた。 こうやって無茶ぶりに対応して人間は成長していくのかなあ。

あとは小林明子の恋に落ちてのカラオケの背景映像が無修正の全裸がアピールするようにはっきり映されていて、みんなで「エロビデオや」と笑っていたりもしていたな。 もう1曲エロビデオあった気がする。なんだったっけなあ。 見たいというより気恥ずかしいの方が遥かに強いね、ああいうの。


ケンジさんが満足して、飲み終わったのが23時過ぎ。 奥さんの運転で宿まで送ってもらいます。 ケンジさんも奥さんも僕のことをよく気遣ってくれて、「就職先が見つかったら連絡してね」とか言ってもらえたけれど、「ここで連絡先を教えてしまっては、旅の恥がかき捨てにならないじゃないですか」と断っておいた。

そしてこの記事をケンジさんの名前を出して書いていられるのは、酔っていない奥さんが「書いていいよ」と言ってくれたからです。 だから、この記事がもしケンジさんや奥さんに届いたらご報告です。無事に就職先見つかりました。


平成最後の年に見た、昭和の街での夜のことはこれからしばらく、いやもしかしたら年老いてからも美化された旅の思い出の一幕として記憶に刻まれているかもしれない。 そして、この日本に今でも文化圏の違う人が生きて住んでいる人がいることを知れたのは、ITエンジニアをやっていく上で、そして多くの人と付き合っていく上で、とても有益だったと思う。

昭和の空気と文化が残っているこの街が、僕はこれからも残っていて欲しいと思う。 僕が生まれていない昭和の懐かしみ方を教えてくれたから、僕は令和の時代にまたこの街を旅したいから。